幼少期

1974年(昭和49年)8月3日、父哲明、母幸子のもと大阪府四條畷市で生まれる。中小企業の会社員だった父は厳しく、いわゆる昔の父親といった感じである。
専業主婦の母は、なにかと心配性でいまだに色々心配している。3歳上の兄とは、小さい頃はいつも一緒でよく面倒を見てもらった。
幼少期は今とは違いテレビゲームのようなものはなく近所の公園や、神社で兄や近所の年上の人と遊んでいた。 小学校までは四條畷市岡山のクレセントヴィラというところに住んでいた。 そこは、近くに田んぼがあったり、神社や寺があったり遊ぶ場所がたくさんあった。 特に忍陵神社は広かったので野球をしたり、探偵をしたり動き回るには絶好の遊び場所だった。


緑も多く、夏にはセミ、クワガタ、カブトをよく捕まえた。
近くの新池では魚を釣ったり、ザリガニを釣ったりした。
収穫が終わった後の田んぼも絶好の遊び場だった。
田んぼではダンボールの家を作ったり、カエルを捕まえたりした。
カエルを大量に捕まえて家に持って帰ると母が相当嫌がっていた。
夏祭りで捕まえたヒヨコは日毎に大きくなりニワトリになってしまったものだから,朝早くからめちゃめちゃうるさかった。
僕の育った大阪の四條畷市という街は自然が多くのどかな街だった。

幼稚園は、なわて幼稚園。三つ子の魂百までの法則で、いまだに「ここは、なわて幼稚園」と口ずさんでしまう。